2020年にテレビ東京のスペシャルドラマで吉田茂、白洲次郎が帰ってくる!!
白洲次郎という人物を知っていますか?
第2次世界大戦後、敗戦国でありながら臆することなくGHQと堂々と折衝し「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた人です。
2009年にNHKで放送されたドラマスペシャルで、私は初めて白洲次郎という人を知りました。
その時、次郎を演じたのは伊勢谷友介さんでした。
スラっと背が高く、スマートで武骨な感じの役作りでしたが、のちに白洲次郎本人を写真で見たときはかなりイメージに近い役作りをしていたんだなと感じました。
当時、白洲次郎を全く知らなかったにもかかわらず、なぜこのドラマを観たのか未だに分かりませんが、逆に観ていなかったら非常に後悔したことでしょう。
今では尊敬する日本人の一人です。
同時期に活躍したもう一人の世界に誇る日本人、杉原千畝について書いた記事がありますので、よろしければお読みください。
さて、その白洲次郎はこちらです。
さきほどの伊勢谷友介さんと比べていかがでしょう。
伊勢谷友介さんも魅力的な俳優の一人ですが、次郎も何とも言えない色気がありますね。
特に下の画像は、【初めてジーンズを履いた日本人】の言葉通り初老に入った年齢であっても見事に履きこなしています。
戦後のこの時代にジーンズを履きこなせる人はなかなかいなかったでしょうね。
背も高く日本人ばなれしたスタイルだった次郎だからこそ、履きこなせたのだと思います。
そんな白洲次郎が2020年にテレビ東京のスペシャルドラマで帰ってきます。
主役の吉田茂役は笑福亭鶴瓶さん。
最近では映画で吉永小百合さんと共演したりしていて、芝居の評価も高いですよね。
間違っても関西弁の吉田茂だけはやらかさないでほしいものですが。
そして、白洲次郎役は生田斗真さん。
いや~、カッコいいですね。
私もこんな顔で生まれてたら人生変わってたんだろうなと本気で考えてしまいますよ。
吉田 茂
ここでちょっと登場人物の紹介をしておきます。
まずは、笑福亭鶴瓶さんが演じる吉田茂元総理大臣です。
出典:Wikipedia
笑福亭鶴瓶さんも似ているとは思いますが、容姿を近づけるなら個人的には角野卓三さんを推したいところです。
出典:oricon news
鶴瓶さんも味があるいい俳優の一人ですが、角野さんもシリアスからコメディまで幅広く演じられる素晴らしい俳優ですね。
25年ほど前、下北沢の本多劇場で角野さんのコメディの芝居を観たことがあるんですが、メチャメチャ面白くて大爆笑したのを今でもよく覚えています。
配役はさておき吉田茂ですが、戦後、日本が民主主義になってからの首相の中では、安倍晋三首相に抜かれるまでは在任期間が最長でした。
吉田は戦前に外務省に入省し、外交官として中国で20年近くの時を過ごしました。のちにはイギリスなどにも赴任しています。
第2次世界大戦前には、米大使や東郷外相らと頻繁に面会して開戦を阻止しようとしたが残念ながら実現しませんでした。
戦中は和平工作に従事し、近衛文麿とともにスイスに赴いたりしましたが、このころは日本軍が絶好調でイケイケどんどんだったため和平交渉はうまくいきませんでした。
結局、イケイケどんどんは長くは続かず世界大戦で大敗し、戦後は、皇室から唯一総理になった東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣と幣原内閣で外務大臣を務めます。
その後、大日本帝国憲法下で最後の総理大臣に就任しましたが、1947年に現在の日本国憲法の公布に伴う総選挙を行い、自身はトップ当選したものの与党第一党を日本社会党に奪われたため、総辞職しました。
日本社会党の政権運営はうまくいかず、田中角栄らが作った民主クラブと日本自由党が合併し民主自由党が結成され、吉田が総裁に就任します。
そして、吉田は第2次内閣を発足しましたが、野党が内閣不信任案を提出、可決されたため衆議院を解散させました。
次の総選挙で吉田の民主自由党が圧勝し、第3次内閣を発足させます。
1951年に白洲次郎とともに渡米し、サンフランシスコ平和条約を締結させ内閣支持率も戦後最高の58%に上りました。
このとき、同行した白洲次郎は機内ではずっとジーンズを履いていたという逸話が残っています。
残念ながら足元は写っていません。
講和条約と安全保障条約を締結させたのち、党内に公職追放を解かれた鳩山一郎を復帰させる声が上がったため、衆議院を解散させ総選挙を行ったが、過半数をわずかに超える議席しか獲得できませんでした。
吉田は第4次内閣を発足させるも、国会で質問者に「バカヤロー」と発言し、内閣不信任案が可決されたため、またまた衆議院を解散します。
少数与党に転落したため、改進党と連立しなんとか第5次内閣を発足させますが、支持率の下落は止まりませんでした。
結局、1954年12月に再び内閣不信任案が可決されることが確定したため、内閣総辞職をし、自ら自由党総裁の席から身を引きました。
総理引退後は大学の総長を務めたり、中国へ特使として訪問していましたが、1967年にこの世を去りました。
簡単にですが、吉田茂について説明させていただきました。
ちなみに、吉田茂の三女「和子」は後に麻生多賀吉に嫁ぎ、その間に生まれたのが安倍内閣の麻生太郎副総理(2019年現在)です。
白洲次郎
白洲次郎は貿易商の父、文平の次男として産まれました。
父の事業が絶好調でかなりのお金持ちだったようで、旧制中学(現在の高等学校)時代にはすでに自分のアメ車を乗り回しており、卒業後はイギリスのケンブリッジ大学に留学し、学業の傍らブガッティやベントレーに乗り、ヨーロッパ大陸旅行に出かけていました。
出典:武相荘HP
しかし、留学中に父が経営する白洲商店が倒産したため、やむを得ず帰国の途につきます。
帰国後は英字新聞の記者となり、伯爵・樺山家の正子と結婚します。
この女性がのちに随筆家として作家デビューする白洲正子です。
また、結婚祝いに父・文平からランチア・ラムダを贈られたらと聞いて、倒産しても金持ちは金持ちのままなのかな?なんて疑問を持ったもんでした。
そのころ次郎は、セール・フレイザー商会という会社で取締役をしていましたが、商談でイギリスに行った際、イギリス大使だった吉田と面識を持ちます。
また、このころは、後の首相・近衛文麿のブレーンとして活動する機会がありました。
第2次世界大戦が始まると、戦火を逃れるため現在の東京都の鶴川のあたりに疎開します。
このとき、白洲夫妻が過ごした家が今でも残っています。
出典:Wikipedia
一度行きたいと思っているんですが、まだ叶っていないので、いつか必ず行きたいと思います。
吉田と同じく戦争に反対の立場だった次郎にも召集令状が届いてしまいます。
しかし、東部軍参謀長だった辰巳栄一の働きかけで兵役を逃れることができました。
終戦後は吉田の要請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任します。
GHQの要求に対してもイギリス仕込みの英語で自分の主張を繰り返し「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめました。
また、GHQに「英語が上手ですね」と言われ、「あなたも練習すればもっと上手になりますよ」と返したそうです。
すごいですよね・・・相手は一応ネイティブですよ。
このころのGHQとのやり取りで有名なエピソードがあります。
昭和天皇がマッカーサーにクリスマスプレゼントを贈った際、次郎が届けたのですが、マッカーサーが一瞥もせず「その辺に置いといてくれ」と言ったことに腹を立て、「陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!!」と一喝し、持ち帰ろうとしたところ、マッカーサーが慌てて引き留めたと言われています。
終戦処理として日本は憲法改正案をGHQに提示しますが却下され、逆にGHQから草案を提示され、それを翻訳して作成しました。
終連を退任後は通商産業省を設立したり、サンフランシスコ講和会議の全権団顧問として渡米したりしましたが、吉田の政界引退と共に次郎も引退し実業界に戻りました。
日本専売公社を発足させたのち、東北電力の会長に就任し、奥只見ダムの建設を推進したりしました。
また、ゴルフを嗜んでいた関係で、軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長を務めていた時には、時の首相、田中角栄がゴルフをしに来た時も、「ここは会員のためのゴルフ場なので、会員権を持たないあなたはプレーすることはできない」と言って追い返しています。
晩年も、80歳を過ぎてポルシェを乗り回し、東名高速道路でスピード違反で捕まったりと最後までアクティブ(?)な人生を送り、83歳でこの世を去りました。
ざっくりと二人の人生について説明しましたが、ドラマのメインとなるのは戦後のGHQとの折衝とサンフランシスコ講和条約ではないかと思います。
まだ、このドラマが2020年のいつ放送になるのかも、予告も見ていないので断言はできないのですが。
それとも、主役は吉田茂だから別の切り口からのドラマになるのかなぁ。
最近のテレビ東京は面白い番組が多いので、なんか期待しちゃいますね。
2009年のNHKドラマでこの時代の予習をしておくのもおススメですよ。
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